
するがや祇園下里とは
江戸時代の文政元年(1818年) 総本家駿河屋の別家として創業。以後、駿河屋一門として本家から伝授された「煉羊羹」を主に商いしてきましたが、3代目が八坂神社境内で売られていた「かんかん飴」にヒントを得て「祇園豆平糖」を考案し、この頃から飴菓子を販売するようになりました。
花街・祇園の末吉町に位置し、生姜など上質な素材をつかったお菓子は、舞妓さんや芸妓さん、芸事に従事される方々にも愛されてきました。素朴でありながらも昔ながらの製法を大切にした上品な味わいが特徴です

京都市登録有形文化財
下里家住宅とは
当住宅は明治28年(1895) にお茶屋として建てられた。内部は土間に沿って居間6室を2列に配するが、室境に半間幅の廊下を通して客の動線を確保し、さらに2階の客室も中央の板間から直接出入りできるようにしている。また正面外観は1階は出格子・平格子を装置し、通り庇を付けて一般の町屋と変わらないが、2階は正面を客室とすることから建ちが高く、また間口いっぱいに窓を開いて手すりを張り出し、軒下にはすだれを吊って、お茶屋としての趣を残している。
するがや祇園下里の
紋について
※登録商標
勾玉を2つ並べたようなこの形、下里の漢字からデザインされた紋です。アルファベットの「S」にも見せています。この紋がいつの頃から使われているかは記録に残っていませんが、4代目孝太郎の代から使われていたことは確かです。
勾玉のような形から「邪気を払い縁を結んで幸運を運ぶ」という意味が込められていたと推測できます。下里家住宅の入り口の扉にはこの紋が描かれ皆様をお迎えしています。下里家を訪れる皆さんに、幸せが訪れる場所になれば嬉しいです。
※登録商標
